昭和46年01月21日 朝の御理解



 御理解 第42節
 「これほど信心するのに、どうしてこういうことができるであろうかと思えば、信心はもうとまっておる。これはまだ信心が足らぬのじゃと思い、一心に信心してゆけば、そこからおかげが受けられる。」

 この御理解を頂いて、今日私は強く感じますことは、限りないおかげをくださろうとする神様。そこには限りなく求められる信心、それはどれ程おかげを頂いても、神様は満足なさらない。どれだけおかげをやっても、神様は満足なさらない。もう是でよいと言う事はない。どれ程のおかげを頂いておっても、よりおかげを下さろうとする働きがあるという事です。どれ程おかげを頂いておりましてもね、又神様が下さっておりましてもですね、神様はよりおかげを下さろうとする働きがあるという事です。
 そこで私共の方でもですね。限りないおかげの頂けれる、よりおかげの受けられる立場に有るのですから。いつも信心が是でよいと言う事があって良い筈がありません。そこでですほんならここにもありますように、これ程信心するのにどうしてこの様な事がと、いう様な事があってもです、是はまだ私の信心が足りんからだという姿勢をとる他にないです。そこでどういう信心に進ませて頂くかと、段々信心を極めて参りますとね、結局は自分自信を削っていく以外はない。
 自分自信をより窮屈な所において行く以外にはない。それで皆さんこらもう信心して、愈々大きなおかげ頂くと、愈々窮屈になるなぁと思われるかも知れませんけれども。そこの所がね、大変まぁ実を言うたら有り難い事に成って来るのです。金光大神のお言葉の中にも、世界は和賀心にありという、み教えが有りますよね。世界は和賀心の中に有る。これはまあ言いますなら、大体私は外へは出ないと言う事を立て前にしておりますから出ません。もう本当に久しい事です、私がこの近所に勿論散歩にも出ません。
 まあいうなら門外不出であります。宅祭りでも有ります時に私は出る以外はない。ですから私のここは世界である。まぁいうならばお広間中あちらこちら回る訳でもないし、まぁいうならここの御結界ここの畳半畳が私の世界である。まぁいうならこういう窮屈な所の中にいつも入っとる訳なんである。所がね教祖の神様が言うておられる『世界は和賀心にあり』と言う事はこう言う様な事ではなかろうかと、想像される位の気持ちが、ここに開けてくるという事実があること。
 例えば十里四方を歩き回っても良いという人、五里四方を歩き回っても良いという人、一里四方いや畳半畳の中だけで過ごせれる人。どっちが幸せかというとね、是は信心でいうと、愈々自分を窮屈な所に置かせて頂ける人ほど幸せなのです。何故ってここのとこまで自分の必要なものがこうやって、ほら十里も向こうに行かなければ自分の必要な物がないと言う様な事ではないのです。自分の手の届く所にいうならば、自分が必要なものが、必要にしかも応じて頂けれるというのです。
 ですから自分を窮屈な所に置くと言う事の有難さというか尊いというか。そういう信心がいわば一つの目指してあっての信心。是はもう絶対その様に思います。もう買わんぞと、決める事は大変苦しい事の様ですけれどもね。愈々買わんぞと言う事になったら、買わんでも、ちゃんとより立派な物がより集まって来るんですよ。そこまでが信心辛抱です。もう要らんと言えば、与えにゃおかんという働きです。
 死のうと思えば死なさんという働き要らんと言や、与えにゃおかんという働き。それをいつもタライの水を、向うにこう押してみなさい。水はこちらに返って来るです、そういう理があるんですね矢張り。三代金光様の時代にまぁだ関東州が、日本の借地権を日本が持っておった時代です。大連というとこが有りますね、大連に町田野という偉い御徳の受けられた先生がおられました。
 その大連教会の総代をなさっておられる。もう一家を挙げて信心なさる。本当に珍しい信心をされるけれども、どうしてもされることが何時も失敗に終わってしまう。そこで松山先生あれ程しの信心が出来られるのに、どうしておかげが受けられんのであろうかと、もう不思議に思われた。ある時その春か秋かの御大祭に、あちらから団体参拝された時に、金光様に、「金光様私の方の信者総代に、何々という氏子がおりますが、一家を挙げて、そりゃ珍しい信心を致します。
 ところがね、どうしてもおかげを受けきれません。どう言う事で御座いましょうか」と言うて、お伺いをされたら、金光様がね、「こうすればおかげになると分かって、こうせんからおかげになりません」と仰っておられます。一家中を挙げてそりゃ始めは主人一人だったかもしれません。そこで奥さんにもいわば「あんたも信心してくれ」と言われたに違いありません。
 子供達にも又は店の人達にまで、信心をしてくれと言うて、皆が一家を挙げての信心になられる。ああでもなかろうかこうでもなかろうかと、心を練って行く訳です。まあだ修行もしてみる所がです、是を自分がひとつ改まればね、改まればおかげになると言う事は分かっておりながらそこが人間である。どうにも出来ないいわば身体が言う事効かんと言った様な事もある。まあそう言う所を指摘されたのじゃないでしょうかね。
 こうすれば、おかげになると分かっておりながら、こうしないから、おかげになりません。そりゃお参りもしとりましょう、一家中で一生懸命信心もしとりましよう。けれどもここをこうすりゃ、おかげになると言う事が分かっておりながら、それをせんからおかげになりませんもう鶴の一声です。その事を帰ってその総代さんに言われたら、「そうで御座いましょう」と解る所が有る。
 もうそれこそ瞬く間に、おかげを受けられたという話しがあります。お互いが成る程合楽でも、長年一生懸命信心の稽古して、本当珍しいと言う様な信心させて頂とって、これは私が見てからそれ思うことがある。もうこの人達がここばいっちょ改まると、おかげ頂くのは分っとるばってん、ちゅうのがあるんですよ。そう言う心をほんなら、向うにも通じるですよ、やっぱりけれども改ためきらん。
 是は私が御徳があるならね、こうすればおかげになると分かるなら、こうせんからおかげになりませんと私が言うたら、それこそ鶴の一声でおかげ頂くでしょうけれども。矢張りこちらに徳が足りん力が足りんなと思うんです。だからここの所はですね、是はどうもその与えらえれてからいうよりも、自分自身がそういう気にならなきゃだめなようです。私が福岡で修行中の時分に、荒戸の教会にお参りさせて頂いておりました、ある、御大祭の御準備がちょうどあっておる時に、お参り致しましたら。
 「大坪さん、御用頂いていけ」と仰るから、「はい」それからあのどこを御用させて頂こうかと思ったら、ちょうど内殿のお掃除があっておった。内殿の方をおかげ頂けと。まあここでこそ青年会の方やら、大勢の方達やら、いきなり入ってお掃除致ししますけどね、もうあちらあたり大きな教会なりますと、内殿なんか中々入られんのです。中でお婆さんが一人一生懸命こう拭いておられました。
 それから私もまあ許されて内殿に入りましてから、それこそもう内殿に入ったら、身が縮んでしまいますよ。硬くなってしまって、一生懸命拭かして頂いた。向うの方からお婆さんがこう拭いてこられる、こちらの方から私が拭いて行く。まあだこれよか随分広いですからね、福岡の教会は。そいで向うから拭いてくるとと、こちらからふいてくるとが、ここでこう一つに一緒に這うとですね。
 向うの婆さんが、「あなた見かけん御信者さんですが、どちらからお参りですか、」て言われる、「私は大体はあの久留米の三井教会の信者ですけれども」そしたら、「ああ貴方が、大坪さんですか」て言われるんです。「はあ、私が大坪です」「親先生から、いつもお説教の時、貴方の話しは聞きよります」ちこう言う。まあ三井教会には、こうして大坪と言う、変わった信心をする男がおると言う様な話をなさっておったんでしょうね。よっぽっどあなたにお会いしたいと思いよった。
 神様の引き合わせですよ」と、こうやって拭きながらね。向うから寄って来ると、その話しどうでもこうでも一遍、私の方へ寄って下さいよ、私も私はその荒江の真名子という者です、私のその真名子さんという話しを、親先生が善導寺に見えますと善導寺の説教の時に、必ずというほどしにその真名子さんの話しが出た。こりゃ中々のいわゆる篤信ですね。別にだいたい元は床屋さんです。
 それがまあ止められましてから、荒江の方に、もう十分田舎の方ですから、あちらの方へ、お家を建てられまして、移転された時に、まああちらへ立派な家が出来た事は出来ましたけれども、信心友達がおりません。だから「しばらくは寂しい思いをしなきゃならん」て言われた時に、親先生が仰ったと言う事です。「真名子さん信心友達は、あちらで作んなさい。」と仰った。
 「あっ、ほんなごてそうですね、」と言うて、それこそ私がお話に参りますとですね、やっぱり、三、四十名集まりましたです。そりゃ真名子さんのお導きばっかりの方が。そしてもう一晩中、私の話しを聞いてくださる。こりゃもう真名子さんの所でね、肺病、特に肺病の方が助かったんですけれども、もうお神酒だけで助かる。もう湿布のね、包帯が沢山用意してあるです。それでこのお神酒で湿布をされる。
 此の方がですね、どこどこ病院の病室、何号室に入院しとるというところに向かってから、プーっち言うて、お神酒を吹きなさるとね、その病室はお神酒の匂いでぷんぷんするち言うね。と言う様に、やっぱ、お徳を受けた方。この方は蓄膿症で、大変ひどい蓄膿症で御蔭を受けられて、はじめて、荒戸にお引き寄せ頂かれた時に、天地の大恩を聞かれた。大地、特に大地をみだりにを汚すなよというその御教えであった。
 いうならば天地は神様のお姿、それを知らん事とは言いながら、大地を汚しておったことを、はぁ本当にそうであろう、相済まんことであったと思うて、教会を出られてあのお参りになった方はご承知、電車通り出る一寸手前に十字路がある。その十字路の所にですねもう沢山の誰かがですね、もう今時あそこはもう、大変な町ですけども、その当時はまだわらっとした町でしたから、あのう大便をし散らかしてあった。
 ああ本当にまあ知らん事とは言いながらね、神様に今私が聞いたばっかりのいや神様の身体にね、こういう汚い汚物をひ散らかしておる人の事を心から詫びた。そしてとって返して教会に行って新聞紙やら箒やら洗面器やら、バケツやら借りて水を汲んできて綺麗にお掃除をして、そこの所を清く清めて神様にお詫びをさせ頂いて、またバケツを返してそこの十字路の所まで来た時にはもう鼻がストストになっとたち言う。



 長年のその重症と言われとった、それが。と言う様な御蔭を受け始めに受けた方であって、非常にその、何ち言うですかね、神様を頂かれるという事においては、もうこれは、驚くことばかりでしたですね。私はある時に行った丁度大掃除があっとりました。お手伝いさせて頂いて、その雑巾バケツの水を表に、夏ですから、こう撒く。はぁ大坪さん大坪さんと、勢いがましゅう言われるから、なんかと思ったら、「それはね、道には振ってくださいますなち、こちらへ、下水に持って行って捨ててください、」ではなくて、その汚い水を掛けられるのは汚いとこういう訳なんです。というくらいに、御地内にみだりに汚すなよ、という事一つにでも、徹底された方です。大体、もう床屋さんですから、一日、一晩中お話しをして、あくる日はね、髭が伸びておりますと、散髪をしてくださったり、髭を剃ってくださったりなさるんです。
 もうその当時、六十四、五ぐらいになるお婆さんでしたがね。それで、その布団を敷かれる時に、こちらの方は、福岡の教会の奥城がある、こちらの方は御本部にあたる、こちらの方は何々教会があるち言うてですね、その私の足が、そちらの方向いていかんち言うて、畳を、こんな風に敷かれるんですよ、その布団を。と言うぐらいに、やっぱ、心掛けた方なんです、神様という事に対して。だから私共が、これはまあだ自分の信心が足りんからだということはです。
 そういう例えば、思いの上にでも、まあだまあだ、足りないことを通感させられますですね、私共は、目が荒いです。平気で御地内を汚しよる。あっちに神様、御本部があろうが、平気で足を、そちらに投げ出しておる。まあそれがいかんと言われるような神様じゃ決してないのですよ。問題は、こりゃまだこちらの信心が足らんからじゃという、その足らんと言う思い、それが足りんのだということです。
 それを、信心のない人、また薄い人が思うたら、窮屈なこっちゃあるとこう思いますよね。そげんまでせんでんと思うごとあるですよ。けれどもです、もう、真名子さんの場合はね、いうならば、それだけ自分というものを窮屈なところに置いておられる訳です。それでいて、それがもう有り難うて、有り難うて応えん。だから、信心とはですね、もう天地の親神様が、いよいよ御陰をくださろうとする働きがあるという事です。だから私共は、より御陰を頂こうという思いが、いつもなからなければいかん。
 もうこのくらい頂いたけんよかとちゅうことじゃなか。もう大坪先生、こういう立派なお広前が出けて、いかにも私が安心したように言われる方がありますけども、いっちょん御陰頂いたと思うとらんです。まあだ神様が下さろうとする御陰のほんの序の口と思うとる。で、私が申します、まだずっーと上の方で、久大線のあすこん、あすこんにきまで、まだ何にも妨げんあるとがなかですけん、ち言う風に申します。まぁどれだけ広がったっちゃかんまん。
 大阪の阿部野という教会があります。女の先生ですもう七十いくつになられるか方でしょうか。一遍、御本部でお目にかかりました。それこそもうあのお広前いっぱいになるほど、私共の教会が月参りしてくると、あのお広前がいっぱいになってしまう。障子を取り外してしまわれる。千人からのお参りでね、一列車貸切りでお参りになられるですね、毎月。それはそれはまあ本当に、私共は丁度二、三十人ぐらいでしたですね。
 毎月、月参りを、こっからしておる、昔の話しです。丁度、その阿倍野の信者さん方と、一緒にお参りし合せましてね、私共が、お取次ぎ頂こうと思うて、あそこ御結界ですから、まああの辺、西岡さんが居なさとこんにきに、まあおった、所が、ぞろぞろ入って見えたから、こら何処じゃろうかと思うたら、はぁ阿倍野げなということで。本当に、先生に、一回お目にかかりたいと思うとりますから、私共は、そこに控えていた。
 そしたら前いっぱいになった、そいで取り巻きの先生方をお供にして、ここの所を、もうこれだけのお初穂ですよ、お初穂をうやうやしゅう持って、こっからこう進まれて、金光様の前にね出られました。それでお初穂の御取次を願われる、その阿倍野の先生がね。金光様の前に深く深く、一礼なさったら、「金光様、御かげを頂きまして有り難うございます」もうその「金光様、御かげを頂いて有り難うございます」のその、有り難うとても千両役者でも出来ることじゃないほどしの素晴らしい「有り難うございました」じゃった。もう私は今にもそれが、ここにも残っとる、素晴らしいなぁと思うたです。
 だから私、後ろにおります信者さん方に申しました。ちょいとちょいと、今の「有り難うございます」を聞いたかと。あの有り難うございますが、これほどしの人が助かるようになった、あの先生の、どこまであるか分からんような、深い「有り難うございますが」あれだけの沢山の人が助かるようになったつよと言うて、まあ話したことでした。もう同じ有り難いでもね、このくらいばっかり有り難いと思うとおる人、もうどうにもこうにもでけんほどに有り難いと思うとる人、有り難いの内容が違う。
 だから、私共は、その限りない、有り難いものを、求めて行くのですから、信心とは。だから、より有り難くならせようとする働きです。勿論そのより有り難くならせて頂く所には、よりおかげを下さろうとする働きがある。もうこの位ばっかりで、有り難たかとは、よかということは決っしてない。そこで神様が、よりおかげを下さろうとする働きをです、私共が、よりおごかげを頂きたいという、その心でキャッチしてみる。それがひとつになっていく。
 これは阿倍野の教会の、まあ独壇場のようなものだと、私共は聞いております。本当のことは知りませんけど。毎日、朝参りが千人からあるそうですよね。こら大したことです、それがなぜそのように多いかというとですね、ご承知のように、大阪というところは商人が多いです。ですからね、会社なら会社、商店なら商店がね、もうこぞってお参りをするんです。番頭さんも女中さんも。だから主人が一人信心しますと、十人も二十人も付いて来るんです。なる程、百人の信者がおるならば、やっぱり、千人があるなと思いますよ。それがどういうことかというとですね。
 例えば、手形なら手形ということになったらね、明日はこうこういうたらね、その主人がね、その社長さんが、社員に、又は番当さんに、女中さんに、皆に頼まれるそうです。明日は、どうでもおかげ頂かなければならない、これこれの事があるから、皆もお手伝いしてくれと言うわけです。主人から言われるから、やっぱり、聞かんというわけにはいかんけん。番頭さんやら女中さんでも、皆、それに、いわゆる、勢信心なんです。一人で持ち上がらん石でも、大勢で、掛け声を揃えての信心をするから、持ち上がる道理だという事が、もう徹底しているらしいです。ここの教会は。ですから、やっぱりおかげを頂くそうですね、そりゃもう見事におかげを頂くそうです。
 そこで、ほんなら今度は、頼まれた番頭さん達がですね、今度は、自分が店ばかりをすると、また同じことを、番頭だけ頼む、頼んでからでもいいです、家内が信心せんなら、家内に頼まにゃ、主人が信心が出来なんなら、主人に頭を下げて頼まにゃ、そりゃ番頭にでも良いけん頼まにゃ、そうすると、その頼まれたその人がね、いかにも始めは頼まれただけだけれども、金光様の信心の有り難さが分かる、尊さが分からせて頂いて、自分自身が一本になった時に、またおかげを頂いておる。また他人で、そういう風にしてお導きが出来ておる、素晴らしいこと。
 そこで、皆さんの場合でもです。これほど信心するのにと、おかげを頂けなかったならです。先ほどから申しますように、ここをおかげ頂きゃ、おかげ頂くことは解っとるけれども、というものがあるならば、それをですね、潔い心で改まっていかなければならんし。又は、それでも足りんならば、誰にでもよいから頼まにゃいけん。又は、今日は、真名子さんのお話しましたように、自分の思いの欠けておるところ、こりゃもう何も自分の思いだから。神様に対する所の、その思いというもの。
 情念の欠けておる所を、気づかせて頂いて、成る程こういう風な粗い考えでは、御かげにならんはずだといったような思い方、又は、有り方、又は受け方が、成る程足りんのだという事になってまいりますとね。これはもう本当にこりゃまあだ信心が足りんからだと言わなければおられない。ところがおそらくは、ここはね一生涯、そういうことになるだろうと思います。何故って神様はより御陰をくださろうとする働きがあるからです。どれだけ受けても。
 そこで私共もですね、これでよいなんていうような事で腰かけずにです。よりおかげを頂こうとする意欲に燃えておらなければいけません。ですから、何時もがやはり、そこに何かがある、困ったことがあるという時には、これほど信心するというのじゃなくて、神様がこうしてまでも、又、御かげを下さろうとしよるなという受け方が出来ることになるのです。もうそげん余計なことは要りません、もうこれだけ貰えばてん何てん、ケチな考えでは、金光様の御信心は出来ません。ひとつ神様がくださるというなら、それこそ、限りなく一生涯かかって、限りなく頂けるところまで頂こうと、という私は、意欲に満ちた信心をなされなければいけないと思うです。
 その元気な心、そこからおかげが受けられるんです。今まで開けなかった所が開けて来る。今まで受けられなかったおかげが受けられてくるようになる。しかも、その窮屈なことであるな信心とはと、第三者の人は思うかもしれん。信の薄い人はそう思うかもしれん。ところがね、その窮屈になっていけば行くほど、実を言うたら、素晴らしいことになって来るんだと。私共が、いうならば私の、ここが許されたとろこであるとするかね、畳半畳の中に、人間の幸せの全てがここん中にはあるんだと。教祖は、そこんところを、『世界は和賀心にあり』と仰せられた。
 例えば一匹の鶏が、一間真四角の所に繋がれておる。人間が繋ぐ以上は、もう絶対、そこに餌がなからにゃ繋ぎはしません。それを、そこんところにあせくらずに、まあだ向こうの方に幸せがあるが思うて、こうこうやって引っ張るから、括られとる足が痛うしてこたえん。ばたばたしてから、向こう方に幸せがあるように思う、決してそうじゃない。幸せとは、ほん自分の足元の所にあるのだ。一間真四角の所に繋がれておるんなら、そこんところをようあせくって見るがいい、そこにはね、もう絶対餌がある。
 そこから、例えば徳の卵を産んでいく。餌がなくなりゃ神様がちゃあんと、人間が又、別な所へ繋ぎ直してくださる。それを自分でこの綱を引き切って、向こうに行こうとするような馬鹿げた努力するから、苦しゅうてたまらんのです。自分の頂いている運命、その中に、その中にお礼を申しあげれば、お礼を申しあげる、どれだけお礼を申しあげても尽きぬ程しのおかげがそこにはある。しかもその窮屈な中にです、いよいよ信心の尊さ、有り難さを分からせて頂くということ。それを今日は、限りなく神様が御かげを下さろうとする働きが必ずある、為に、私共も、限りなく頂こうとする姿勢を作らなければいけないということ。
 限りなくおかげを下さろうとする神様、又、くださるならば限りなく頂こうとする私共、ですから、これで済んだとは思いませんという、私は、信心が生まれてくるんだと思います。どれだけ人間の知恵力で、もうこれほど以上のこと出来ないという事を、なしておりましても、人間生身の事でございますから、どこにお粗末ご無礼があるやらわかりません。これで済んだとは思いませんという、教祖のああいう御信心の御態度というものがあるわけです。
 皆さん、一つ本気で、自分を窮屈な所においてごらんなさい。そして、その窮屈な中に、本気でおかげを受けておる事実を発見してごらんなさい。それは窮屈な所が一番素晴らしい。こらもう本当にそうです。私がもう余所に出られんから、負け惜しみで言いよるとじゃないです。もう本当に、ここにこそ、人間の本当の幸せがあるんだと。しかもここには、まだまだ、限りがない有り難さがあるんだと。皆さんがお金ならお金で窮屈な思いをしておられる。
 人間関係で、本当にもう肩身の狭い思いをしておられる。例えばそういう窮屈な中にです、窮屈な中に、お礼を申しあげなければならない、その事実をね、発見させて頂くところから、今までのお粗末ご無礼であった事に気が付かせて貰うて、そこからお礼の申しあげる心、いわゆる真に有り難い心が湧いてくる。その真に有り難いと思うその心にね、御陰はまた限りなく頂けてゆくものなのです。
 今日は、ここの四十二節を、そういう風な角度から頂きましたですね。神様は限りなくごかげをよりくださろうとする。だから私共はいつも、より頂かせていこうという、その姿勢。そこのところに、信心はこれで済んだとは思わんという信心が、どうでも必要になってくるわけであります。信が薄いとこれだけ信心したばってんおかげ頂ききらじゃったけん、と神様もいい加減なもんだと、言ったような考え方をする人すらがある。それでは、その一事だけでもおかげ受けられんことが分かりますね。
   どうぞ。